代表プロフィール
壮絶な経験した幼少期から
成功までのサクセスストーリーとは?
起業家の年収を2000万円以上にするコンサルタント
企業研修講師/マーケティングコンサルタント
これまで、30業種200名以上の経営者や起業家の売上アップに貢献する。
自身も、営業職として3年間働いた後に起業。資格も経験もない状況から、20代で年商1億超えるコンサルタントとして活躍する。
その経験から、全くの0からでも最速で年収2000万円超える起業家になるには、『これをすれば確実に売上が上がる!という起業プランを作成する』ことが重要だと確信。
現場の営業経験に、心理学やマーケティング理論などを組み合わせた”セールス型マーケティング”や”独自の起業メソッド”で、
全くの0から1000万円~1億円以上の売上を上げる起業家をこれまで200名以上輩出する実績を上げる。
両親の離婚など経験した幼少期から
家族崩壊寸前の思春期
1993年5月、大阪府堺市生まれ。
三人兄弟の末っ子として生まれる。
5歳で両親が離婚し、自分一人だけ父親のもとへ預けられる。
父親は元暴力団員で、まともに仕事をしておらず、
父親の当時付き合っていた女性のもとへ預けられたまま、
当の父親はほとんど家に帰ってこなかった。
母親代わりとなっていた人は、
特に面倒を見てくれるわけでもない。
毎朝一人で起きて、自分で準備をし、朝ごはんもなく、
交通量の多い幹線道路を一人で歩いて保育園へ通学するような、
そんな幼少期だった。
7歳の時に母親のもとへ戻り、兄弟と暮らすことになる。
しかし中学二年生の時に母親が再婚した相手が覚醒剤を常用しており、逮捕。
刑務所から出所し、包丁を持って家に乗り込んで来るという事件が起きる。
その事件が原因で、母親が鬱になる。
また、兄が高校を辞めるなどの問題も起き、
自分だけでなく、家族を含め、壮絶な思春期を過ごす。
そんな中、心に生まれた感情は、
『自分がこの家族をよくするしかない!』
ということだった。
大きな挫折を味わった新社会人
2014年4月
新卒で投資用不動産の営業会社に入社。
なぜ、新卒でこんなブラック企業の多い業界に入ったのか?
それは『何としてでも金を稼ぎたかった』から。
余裕のない中、社会に出られるまで育ててくれた母親、
私は一刻も早く母親に楽をさせてあげたかった。
そして、それができる男に、そんな息子になりたかった。
とにかく、ありあまるエネルギーと、『母を楽にしたい!』という一心で、
入社した瞬間から、仕事に没頭した。
職種はもちろん営業。
まだ若く、何の経験も能力も無い自分が金を稼ぐには、
これしかないことは分かっていた。
入社からわずか3ヶ月で、四半期3位に入り、
会社からも期待のホープとして注目を浴びる。
ほんの少しだけれど、母親孝行ができた。
しかしその勢いは長くは続かず、ある時から極度のスランプに陥る。
投資用不動産というブラック体質の業界では珍しくないが、
上司から罵倒や罵詈雑言は当たり前、
肉体的な苦痛を伴うパワハラなども、日常茶飯事だった。
ストレスで3回救急車に運ばれ、吐き気と戦う毎日。
肌は荒れ、体重もみるみる増えていき、顔色は常に青白く、
まるで死人のようだった。。
実家に戻った際には、体調の悪さから母親に心配をかけ、
『仕事を辞めて実家に戻ってきなさい』と言われるほどだった。
上司に怒鳴られ、歯を食いしばり、泣きながら営業電話をかける日々の中、
声を出すと吐き気が止まらなくなるという原因不明の症状になり、
まともに営業活動が出来なくなってしまう。
そのことがキッカケで、自分の身体に限界を感じ、転職。
転換期と栄光期、輝きに満ち溢れた人生へ
IT系の会社へ転職。
初の法人営業。
前職で培った営業スキルが役立ち、取引先の社長たちに気に入られ、
入社早々、トップセールスの座につく。
入社半年を過ぎ、仕事自体も落ち着いてきたころ、
なんとなく物足りなく感じている自分がいた。
それなりに収入も上がり、少しばかり親孝行もできていた。
年の割には収入も多く、周りの友人にも羨ましがられていたし、
それなりに自尊心も満たされていた。
それなりに…
しかし『十分かなぁ』と想いながらも、『まだまだ!』と思う自分もいた。
そしてある意味ぬるま湯にいた私は、こう考えるようにもなった。
『俺、もっとギラギラしてたよなぁ…』
と…
そんな日々を送っていた中、ある起業セミナーの広告に目が止まる。
『商品はじぶん』
特に何か大きく感じたわけではなかったが、
軽い気持ちで説明会に参加してみようと思った。
いざ参加してみると、
まるで『お腹に熱い鉛を落とされたような衝撃』を受けた。
威風堂々とした講師の振る舞い、
本気で人の人生に向き合おうとするサポーターたち。
直感的に思った。
『ここに参加しなければ!』
と…
人生に起きた大きな革命
そして、会社員をしながら、初めてチャレンジしたビジネスで、
約2ヶ月間で63万の収入を得る。
63万円…
人生で初めて、自分の力だけで稼いだ63万円…
それなりに上手く行き始めていた人生の中で
いつの間にか小さくなっていた熱いものが、また燃え始めるのを感じた。
『私には、金を稼ぐ力がある!現実を創る力がある!』
この経験は、私の選択と行動を大きく変えた。
そして何より、私の中にあった原点、
とても大きく、そして貴重なものを思い出させてくれた。
『母親に楽をさせてやりたい!自慢の息子になりたい!』
という想いを…
自分で稼ぐ力を手に入れた私は、また我武者羅に働き始めた。
『母親に楽させたい!』
という一心で、ブラック企業に飛び込んだ
あの日21歳の頃の熱と想いが、蘇っていた。
その結果、起業1年目で約3500万円の収益を上げる
法人化も果たし、経済的に安定してきた頃、一人の男と知り合う。
ひと目で分かった、コイツは俺だと…
彼は母子家庭で育ち、母を楽させたい一心で独立し、
ただただ我武者羅に頑張っていた。
しかし世間はそう甘くなく、彼は頑張れば頑張るほど泥沼にハマり、
自分一人の面倒さえ見れない状態だった。
私には痛いほど分かった。
母親の面倒さえ見れない情けなさが…
自慢の息子になれない、その痛みが…
私は彼のサポートに乗り出した。
『私がするべき仕事だ!』
と、そう感じたから。
彼はただひたすら頑張った。
私は彼に、その頑張りが成果につながる秘訣を伝授した。
その結果、彼が手にした成果は5名以上のクライアントを獲得し
200万以上のキャッシュを創り出したのであった…
そしてその成果を手にした彼は、本来の自分が持つべき誇りを取り戻し、
たくましくもあり、優しくもあるような、そんな表情をしていた…
その表情を見て、私は確信した!
Mission
私のミッションは『家庭環境や才能で人生を諦める人を無くすこと』
であると…
熱い起業家たちを増やすのが私のミッションである。
Vision
そしてそんな熱い起業家たちが
独自の価値を世に広げ、周りの人々を豊かにしていく。
稼ぐことで家族を助け、誇りを持つ起業家たちを輩出する。
この各々の【本来の在り方】を取り戻すことで、【使命】【役割】【才能】に目覚め、
自己使命を実現し続ける英雄起業家たちが、社会を創造していくことで
家族だけでなく、社会に貢献していく世界を創造することが私のビジョンである。
起業1年目で年商3000万円を達成した松尾の秘密や、
同じように起業1年目から1000万円〜3000万円達成した起業家たちの
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